フロアガイド2F
悼 中国人強制連行「万人坑」
1930年代初頭に始まる中国東北部への侵略は侵略地の資源開発略奪と要塞構築のため膨大な労働力を必要とした。
軍・治安機関・企業が中國人を偽募集・拉致・逮捕して労働力として送り込んだ。
そして、その多くは過酷な労働の中で命を落とした。時には秘密保持のため意図的に殺害された。
その遺体を埋めた跡が万人坑と呼ばれている数百万と見込まれるが、殆ど不明のままである。
日本本土の企業現場にも、1944年以降約4万人が奴隷以下最悪の条件の中で各企業現場に送り込まれた。伊豆の現場では、一年ほどで半数以上が殺されている。殺されないまでも多くが致命的な障害を負わされ、苦難の生涯を送らざるをえなかった。
大館・花岡鉱山では一斉蜂起があり 治安機関による過酷な弾圧・虐殺があった。しかし、戦後ここ大館・花岡では、日本唯一加害者である日本の行政機関が被害者遺族を迎えて毎年慰霊祭を行っている。
関谷が花岡鉱山・足尾鉱山などに連行された中国人の名前を、残された叫びを彫り続けたのは何故なのか。
「タッタ一日モ眠レナイ 殺サレタモノタチハ眠レナイ ドウシテ眠レヨウ」
故郷から遠く離れた異国の地で無念の死を迎えた彼らを思い、関谷も「眠レナカッタ」はずだ。
死者に履かせる黒い靴が「墓標」の前に置かれている。
死んだ者が蘇らない以上何をなすべきか。
死者の一人ひとりを思い浮かべ、死を悼み、魂を慰める他ないのだろうか。あたりには平和と命の尊さに額づく作家の想いが立ち込める。