フロアガイド2F

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記憶と平和の祈り ~ヒロシマ・ナガサキ~

1. ヒロシマ

被爆歌人、正田篠枝直筆の被爆者追悼名号(月尾菅子氏寄贈)
被爆者、佐伯敏子の手記『ヒロシマに歳はないんよ』ほか

記憶と平和の祈り ~ヒロシマ・ナガサキ~

アジア・太平洋戦争の犠牲者を悼む

石川逸子長編詩『千鳥ヶ淵へ行きましたか』『マレーシア無辜生命鎮魂詩』テキストを中心としたインスタレーション。

「やっと二十歳/やっと自由が開ける戸口で/骨と皮になって病み/死んでいった/まだ心は学生の/「侵略」兵士よ」「赤ん坊をあやしていた中国人のあなたを/妻子に頼られていた朝鮮人のあなたを/漸くにして想う千鳥ヶ淵で」

「あそこに ここに /あの村に この町に /涙も枯れる殺戮があって/幼い子どもたちが放りこまれた /古井戸があって/拷問のあと犬のように屠られた ひとたちがあって」

アジア・太平洋戦争

第二次世界大戦アウシュヴィッツの記憶~映画『ショアー(絶滅)』より

ナチスによる大量虐殺ホロコーストをテーマにした映画『ショアー』(1985監督クロード・ランズマン)のナレーション(高橋武智訳1995)をテキストにした作品。

誰でも被害者、そして加害者になりうること。過去の事件ではない。現代の「ホロコースト」にも思いを馳せた作品群です。

「最初のメカニズムはすべて、ただ一つ、次の原則にもとづいていた。アウシュヴィッツに到着した人々に“行き着く場所も、目的が何かも知らせない”という原則。新入りの人々は、パニックもなく、秩序正しく、ガス室に行進して行かなければならないのだった。」

第二次世界大戦 アウシュヴイッツの記憶~映画『ショアー(絶滅)』より

悼 中国人強制連行「万人坑」

1930年代初頭に始まる中国東北部への侵略は侵略地の資源開発略奪と要塞構築のため膨大な労働力を必要とした。
軍・治安機関・企業が中國人を偽募集・拉致・逮捕して労働力として送り込んだ。
そして、その多くは過酷な労働の中で命を落とした。時には秘密保持のため意図的に殺害された。
その遺体を埋めた跡が万人坑と呼ばれている数百万と見込まれるが、殆ど不明のままである。
日本本土の企業現場にも、1944年以降約4万人が奴隷以下最悪の条件の中で各企業現場に送り込まれた。伊豆の現場では、一年ほどで半数以上が殺されている。殺されないまでも多くが致命的な障害を負わされ、苦難の生涯を送らざるをえなかった。
大館・花岡鉱山では一斉蜂起があり 治安機関による過酷な弾圧・虐殺があった。しかし、戦後ここ大館・花岡では、日本唯一加害者である日本の行政機関が被害者遺族を迎えて毎年慰霊祭を行っている。


関谷が花岡鉱山・足尾鉱山などに連行された中国人の名前を、残された叫びを彫り続けたのは何故なのか。

悼 中国人強制連行「万人坑」

「タッタ一日モ眠レナイ 殺サレタモノタチハ眠レナイ ドウシテ眠レヨウ」

故郷から遠く離れた異国の地で無念の死を迎えた彼らを思い、関谷も「眠レナカッタ」はずだ。

死者に履かせる黒い靴が「墓標」の前に置かれている。

死んだ者が蘇らない以上何をなすべきか。

死者の一人ひとりを思い浮かべ、死を悼み、魂を慰める他ないのだろうか。あたりには平和と命の尊さに額づく作家の想いが立ち込める。

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